ツインレイの片割れについて

ネットでツインレイと検索すると、
ランナーとチェイサーという追いかける人と逃げる人、という話がでてきます。
また、魂を二つに分けて生まれてきた存在ともでてきます。

私の好きな「君の名は。」の彗星が割れる表現自体も、ツインレイの表現と見ている方々がいらっしゃいます。
一つから二つに分かれ、そして、地球へ落下する。
宇宙から地球へ生まれ落ちた、二つに別れた生命の誕生の描写とも取れて、宇宙と私達の繋がりがあるのかなと感じさせてくれます。

もともと一つだったのが、二つに分かれて、
また一つになる。
私はものづくりをするのですが、
その視点から言うと、一つを二つにして、また一つにするには、なかなかに難しいことです。
木だと、同じ木でも二つに綺麗にパカーンと割れたとしても、接着剤や釘やボルトなど何か用いたとしても、全く同じ元の木の形には戻せないです。
道具や機械を使っても全くに同じは無理です。
繋ぎ合わせるのには、手間や技術なとが必要になります。
その考えでツインレイの存在を考えると、一つの同じ魂が二つに分かれたとしたら、そう簡単には戻れないし、もし一つになれたとしても、それは元の魂ではなくて、違う魂になるんだと捉えれます。
そして片割れに出逢える確率は、もしかしたら砂浜の砂粒から一粒の砂金を探すような、見つけれたとしても、魂を戻すための苦労を伴うのかなと、考えたりします。
それでも、私は片割れを無意識に求めて生きてるのだと感じる時があります。

女性がチェイサーなら私がチェイサーで、
私の片割れは男性だからランナーとなります。
追いかける私と、逃げ続ける彼を客観視すると、なんだか滑稽です。
逃げる男性なんか早く見切りをつけて、違う自分を見てくれる新しい男性を探した方が、効率も良ければ嫌な記憶もなく始めれるから良いと思いませんか?
でも、それが頭ではわかっていても、心が拒絶してしまう。
何故だろうと考えても理由がないし、どうしようもない感情が付き纏う。
これが愛かもよくわからないけれど、ただ言えることは、彼以外の誰かが入る余地が無くなっているんだということだけ。
一度出会って付き合って、別れてから年月はかなり経ち、他の人と縁もあったけれど結局独りになり、そして蜘蛛の糸のような一筋の繋がりが心から離れなくて、今に至る。
チェイサーゆえなのか、追い求めて今を生きてる。
いつか会えたら良いなと願ってやまないランナーとの出会いと、二人が出会ってからの道が一つになれる物語を夢見て。


〜夢灯篭〜
あぁ このまま僕たちの声が 
世界の端っこまで消えることなく
届いたりしたらいいのにな
そしたらねぇ 二人で どんな言葉を放とう
消えることない約束を 
二人で「せーの」で 言おう
あぁ「願ったらなにがしかが叶う」
その言葉の眼をもう見れなくなったのは
一体いつからだろうか なにゆえだろうか
あぁ 雨の止むまさにその切れ間と 
虹の出発点 終点と
この命果てる場所に何かがあるって 
いつも言い張っていた
いつか行こう 全生命も未到 未開拓の
感情にハイタッチして 時間にキスを
5次元にからかわれて それでも君をみるよ
また「はじめまして」の合図を 決めよう
君の名を 今追いかけるよ

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